今日も暑いですが皆様ご機嫌いかがでしょうか。ワタクシは今日も機嫌よく久々にのんびりした朝を迎えております🌞
先日小学校の恩師を囲んで同窓会があったのですが、小学生の時は大人と子供でも、今やどっちが恩師か分からないみたいな風貌にみななってるわけです🤣
50歳になっちゃうと60歳も70歳もあんま変わらないなって思っちゃいました😅
恩師がとにかく元気でして、昔から身体能力が高かったようなのですが今でも朝晩ストレッチをして週2回ゴルフに行き、孫とスキーを楽しむというパワフルぶり。思わず腰がいてー肩があがらねー腹が出てきたでも動きたくねーといってる同級生に見習え!!って言っちゃいましたけど(笑)とはいえ元々動くことが好きじゃない人にとっては億劫であるということは分からないでもありません。元の身体能力はその人が生涯においてアクティブであるか否かを分けてしまうところがあるので、動きたくない人はまず「動きたくなるような体に調整する」ところから入らないとなんですよね~。そうなのだからジャイロトニックやろうね(小声)
この年になると若く見える人とそうでない人が結構分かれてくるのですが、「若々しくいなければならない」っていう発想もなかなかのおせっかいだなって若作りしてる立場の癖に思います。
私年齢より若く見られますが、まぁこれ、いわゆる「悪あがき」な訳です😅
ほったらかしたら白髪もなかなか目立ちますし、動いてなかったら人並みに腹も出てると思うし、老眼も出てますし(笑)
カツラをかぶったり増毛するお兄様とやってること変わらないんです。
要はイケてるように見せるということにアイデンティティを見出してるだけのことです。
ただ、ただね
「これは悪あがきである。悪あがきのために働き、お金と時間を使うという人生を楽しんでいる」と、はっきり自覚してやってるのとそうでないのとで、息苦しさが違ってくると思うんです。
時に「自然体こそが幸せである」などと意気揚々と説く文章をみかけるけど、心底自然体の人なんているかぁ??って思っちゃうんですよね。
どっかしら外側の何かを意識して行動を選択してるはず。
でも、外側の価値観に振り回されて「若くいないと自己価値が下がってしまうんだ」などと必死になって、でもその必死さをひた隠しにして作り笑いしてがんばると本当にしんどいのではなかろうか。要するに自分で選択してる行動と思いきや完全に外側に振り回されてるんだから。
本来はね、他人はそこまで自分に興味ないと思います。こちらが若かろうが老けてようが大して気にしてない。超有名人はネットで年齢に伴う容姿のことでディスられたりするのかもしれないけれど、ディスってるお前もそう遠くない未来にもれなくジジババになるから安心しなよ😀と、思う。
要するに自分がどう生きて行ったら面白いか、楽しいか、気分が上がるか、笑えるか。ワタクシは、悪あがきしてる自分を遠目にみながらちょっとププっとして、そんな自分も可愛いよね🥰とか思って過ごすのが楽しいです。
自然の流れにただただ身を任せるのもよし。
あえて抗って面白がるのもよし。
抗いたい派の方は一緒に大いに悪あがきしましょう✨