こんにちは~、みなさんご機嫌いかがでしょうか?ワタクシは今日もご機嫌に朝からあれこれやっております。お昼ごはんを作って、これからキッズのバレエとダンスのクラスなのでこれを書き終わったら準備します。
さてさて、ワタクシ今週の月曜日に眼瞼下垂の手術受けてきました。そんな急に必要な状態ではなかったのですが、ちょっと左の瞼の上が重いなぁと思ってたのと、眉と二重の左右差が気になってなので、とりあえずやってみようとある眼科にてやっていただきました。眼瞼下垂は現在一つの症状としてみなされていて美容形成科ではないので保険適用なのもありがたい。
結果こちら、ちなみにアプリの補正もなし、無加工
目元も楽だし、眉山の高さの左右差とか眉と目の間の幅とかが気になってたのも整えてもらった上に術後殆ど腫れたり痛かったりしませんでした。先生すごい。
2~3年かけてこつこつ体の使い方とか自分の力みとか、いろんなことに目を向けてやってきたのですが、体は心を作るし、また心も体を作っていくんだなと自己観察して思います。
左上の写真の頃、コロナ禍の前までは、常に気が張っていたというか、とにかく負けたくない、馬鹿にされたくない、みたいな気持ちに呑まれてたなと思い返します。狭い世界に閉じこもって人を寄せ付けないオーラーを出してるのに一度気持ちを開くと依存しすぎてしまうというアンバランスさもあって、大分人にご迷惑をかけてきました。
そんな中でもご縁に恵まれて体がどんどん変わってきたのですが、体の変化とともに心も変わってきました。自分のことを俯瞰してみられるようになって、心を閉ざさなくなれた代わりに相手の価値観を尊重しつつ距離感を保つということも出来るようになったよう感じます。
同じ手術を4年前に受けたとしても、それほど人相に変わりはなかったかもとなんとなくこの写真を見て思うのです。
歳を重ねれば重ねる程、心の状態は人相に出るように感じます。
人相を人から見て気持ちの良いものにしたいと思えばこの先どう過ごしていこうかという指針にもなるのかと。心身一体であるという概念がないとアンチエイジングに飲み込まれて常に老いの脅迫観念に苛まれてしまう気がします。この手術をしようがしまいが最終的にはみんな同じくおじいさんおばあさんになる。けれど、表情、生き様、考え方は必ずその姿に映し出されるってことを念頭に入れておけば、なんのために自分をケアし続けるのか、途中で目的と手段が入れ替わるようなことはないはずです。
なんとなく、60歳の誕生日はこんな風に迎えようという方針が定まりつつあります。
何とも誰とも張り合わない。自分のことも追い込まない。
ただただ私自身が私を理解する、それを伝えて、誰かの力になれたら嬉しい。
経験が誰かの喜びになる時間を積み重ねて、満ち足りた気持ちで過ごしたいです。
ではでは、皆様素敵な週末を🥰