北区王子でジャイロトニック教えています

東京都北区でジャイロトニック・ジャイロキネシスレッスンしてます

欲と仲良く

おはようございますー、今日もご機嫌、じゅんこですー。いつも読んでくださってありがとうございます😊

この写真、20代前半の頃です。舞台で「蜘蛛の糸」をやるので、お釈迦様の役をやらないか?と勧められたことがありました。

生徒にもヤキモチを焼いてしまうような先生でめったに褒めない人だったけど
あなたって背中にも顔がついてるのよね、悔しいけど、と言ってた


「蜘蛛の糸」芥川龍之介
(リンクが開きます)


あらすじは読んでいただければ、という感じなので割愛します。

私勝手な考察してまして、糸が切れてしまったのは犍陀多が欲深いから糸が切れた、というより犍陀多自身、お釈迦様がいる世界に対して間違った想像してたので、仮に辿り着いても「俺が辿り着きたかったのはこんなところじゃないんだけど」ってなるからじゃないかな、と思ってます。


お釈迦様のいる場所って、美しい池に真っ白な蓮が咲き、良い香りが漂ってる。言ったら「それしかない場所」

 


竜宮城のように、ごちそうがあって、華やかに着飾った人が歌って踊ってと宴会が日々繰り返されて、ってところじゃないんですよね。


人って誰しも欲があって、欲があるからこそ生きてる。食欲が無くなったら死んじゃうし、性欲がなければ子々孫々つながっていかないし、社会的欲求があるから仕事が生まれて社会を構築してる。だから全然欲があるのは悪いことじゃない。

 


でも欲に飲み込まれれば苦しくなる。今まで築いた財や立場を失いたくない、だって人から「あいつ落ちぶれた」とか言われたくない、もっと自分を賞賛してほしい、だから自分のことを痛めつけても賞賛のために働く、もっと若くて、もっと目新しい子と、何かを犠牲にしてでもイチャコラしたい、昨日の記事じゃないけど、アドレナリンマネジメントが上手くいかず刺激を求めて無限ループ。

 


犍陀多のいる「地獄」とは、欲に縛られ無限ループから抜け出せない状態のことのように私は感じてます。

 


繰り返すけど、欲が悪いわけじゃない。


欲がなければ回っていかないこの世で、どうやって自分の欲と仲良くするか。

 

なぜお釈迦様役をやらないかと言われた理由が、20年以上経って理解できました。
当時は自信がなくて断ってしまいました。



今なら踊れそうな気がします。もうその機会は失ってしまったけど。


でも、それでも


蓮池の前に立つお釈迦様のような気持ちを少しでも忘れないように生きれたらな、もっとできるのなら、そこでただ咲いてる蓮のように生きたいな、とは思います。


週末も皆様ご機嫌麗しくお過ごしください🌸